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伊木遠雄 いきとおかつ

伊木家は平清盛の末裔で、尾張に住んでいたと言われている。豊臣秀吉の近習で、賤ケ岳の戦いに従軍し功があり黄母衣衆に選ばれた。朝鮮出兵にも従軍している。関ヶ原の戦い後に浪人となったが、大坂の陣が起こると大坂に入城し、真田幸村隊の軍監となった。
真田丸の攻防で徳川軍が苦戦しているのを見て真田幸昌と共に城外に打って出て敵に損害を与えている。夏の陣でも幸村と行動を共にし、道明寺の戦い・天王寺・岡山での最終決戦に参陣し戦死した。
幸村の数少ない理解者として有名。戦死した説の他に5月7日に逃亡したが真野頼包と刺し違えて死んだという説もありますが、頼包には藤堂家に仕えたという話しもある。
藤堂家!🔍️〖織田信長 伊木〗で検索すると…
伊木忠次織田信長の美濃攻めに従軍し、永禄4年(1561年)に犬山城の対岸にある山に拠った斎藤勢を攻めた際に著しい武功を挙げた。清洲会議にも、参加している。

因みに私の祖父は伊木忠光です。ある時まで親戚みんな刀の名前でした。
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伊木八郎【池田谷事件土方隊所属】
【新撰組隊士】
伊木 八郎(いき はちろう)
(生没年未詳)
摂津大坂出身。
新撰組隊士。
文久3年末頃入隊。
元治元年6月、
池田屋事件では土方隊に属して出動。
事件後金10両、別段金5両の恩賞金を下賜される。
同年暮れの編成では、
七番 松原 忠司隊に配属される。
その後、五番隊に所属し、慶応2年9月の制札事件では、
原田 佐之助と共に土佐の藤崎 吉五郎を斬り、15両の恩賞金を受けた。
考察
平清盛様から性を頂き派生して行ったのかなあ…
伊木性結構珍しいし…
でも…
どの戦いも…
全部負けてるじゃない(/。\)良くて相討ちって(/。\)