
夜想会のジャン・アヌイ作『アンチゴーヌ』は、演じ手や観客が、コラボラシオンを知っているか知らないかで随分見方が変わってしまう。
コラボラシオン(フランス語:Collaboration)とは文字通りには協力(コラボレーション)を意味するが、フランスの歴史では特に、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに占領されたフランスで行われた対独協力行為を指す。当時のフランスでは労働者としての徴用などの組織的なものから、個人的に占領軍に協力したりする者など様々であった。
ソフォクレスによる古典作品の翻案である『アンチゴーヌ』は、ナチス・ドイツのフランス侵攻の間、暗喩的な態度でナチスとの[コラボラシオン]を批判するものである。
基本的に政治から離れたところに立ちながら、ジロドゥ傾向であるアヌイは芸術家として、大戦下の人間の誇りや存在を鋭く描いていた。その作品こそが『アンチゴーヌ』なのである。[夜想会]という集団を始めてみたが、感心したのが一貫性がるという事。
一見フランス戯曲であるアヌイは、夜想会の他の戦争ものと一線を置かれそうになるがそうではない。現在は失われてしまったかもしれない人間としての、自己存在に対する自己懐疑を現代に問うという面においては、劇団の理念は一貫している。
自分の命が失われるかもしれない極限状態において、人として命以上に大切なものを守るために懸命に運命と立ち向かうアンティゴネの姿は、当時は恐らくレジスタンスの姿と重ねられたのだろう。コラボラシオンをエモン、クレオンや衛兵をナチスなどの圧倒的軍事力と読み解けば、おのずとアヌイの戯曲の中での主題は明らかになるのである。だからこそ役者は象徴的な役を具現で演じてはならない。かといって表現主義技法では翻案前のギリシャ悲劇の本質を損ねてしまう。だからこそリアリズムでも表現主義でもない演技方法が必要不可欠になってくる。それが今回の[青い鳥]で成功した方法、象徴主義演劇方法である。「夜」のシーンなどが成功したよい例だった。
象徴主義(サンボリスム)とは、自然主義や高踏派運動への反動として1870年頃のフランスとベルギーに起きた文学運動および芸術運動である。象徴主義者を総称して「象徴派」と呼ぶ。ロシア象徴主義の開祖となった詩人ワレリー・ブリューソフなどにより、この運動はロシアにまで輸出された。
「象徴主義」という語は、1886年に「象徴主義宣言]を発表した詩人ジャン・モレアスが、「象徴」という語の語源である「一緒に投げること」を利用し、抽象的な観念とそれを表現するべきイマージュの間にこれらの詩が打ち立てようと望む類比関係を指し示そうとして提案した。象徴主義はロマン主義の最も秘教的な側面とも関係があるが、何よりもシャルル・ボードレールに負う部分が大きい。もう少し後になって知られるようになった(マラルメは「重要な通りすがり」と称した)アルチュール・ランボーは、ポール・ドゥメニーに宛てた1871年の手紙において、「魂から魂へ、全てを要約し、薫り、音、色彩、思考を引っ掛け引き出す思考」となる言葉の探求へと詩の方向を定めた。しかしながら象徴派がリーダーと見做すのはポール・ヴェルレーヌであり、その「詩法」は象徴主義の規範を定めている。
象徴主義演劇を僕が取り入れたのはリアリズム演劇への抵抗と反動であった。
「観念に感受可能な形を着せる」ことが重要であったからだ。リアリズムとは対照的に、象徴派は事物を忠実には描かず、理想世界を喚起し、魂の状態の表現を特別扱いする印象や感覚を探求する。青い鳥での象徴主義演劇が大成功したのは、演じ手[役者]の実力が、リアリズムにも表現主義にも適応し、なおかつ新しいものを生み出す身体になっていたからに他ならない。
戯曲の本質はやはり役者の演技力にかかっている。